みどうと織物工場

「物置」から「工場の間」へ、ノスタルジーをテーマに

明治時代~大正~昭和中期頃、みどう本陣母屋につながるこの部屋には織機が置かれ「奥脇製絹工場」を営んでいた時代がありました。大月市や都留市の郡内地域は繊維産業が盛んだった歴史があります。

 

昭和40年初頭になると織機による織物工場から染物工場へと変遷していきました。高級品である養蚕の天然絹糸の代替品として重要な役割を果たした人絹(レーヨン)繊維を様々な色に染め、乾燥、お巻きという器具にその糸を巻き、機織り屋さんにお巻きの糸を渡し反物へ、袖裏や裏地の生地が主な製品でした。先々代当主の家族や親族が経営を担っていました。染物工場として昭和50年代初頭まで使われていたのです。その後、染物工場のボイラー設備などは撤去され、工場跡は物置として現代へと歴史を綴ってきました。


奥脇製絹工場  大正8年(1919)9月17日撮影  ©midohonjin


2025年9月、先々代当主が平成5年(1993)に亡くなって32年、祖父が残した物置の雑品類を一部のレトロな家具や電化製品を残し処分・整理しました

 

物置にあった両袖机は昭和30年代製、大正11年(1922)から昭和46年(1971)まで初狩郵便局長を勤めた祖父が事務机として使用した後、廃棄処分品を譲り受けて退職後も愛用していたもの。扇風機は昭和30年代製で当時大学初任給が19,800円、これは8,000円していたそうです。クーラーが無い時代高級品だった扇風機を家族や郵便局員のためにと購入したのではないかと想像しています。レトロな石油ストーブ、幅を変えられる本立て、印鑑入れなど往時の郵便局風景を偲び並べてみました

 

今後、織物に関する物、古民具、農具などを展示する資料館や撮影スペースとしてフレキシブルに活用できるよう「物置」から「工場の間」へ、工場跡の空間を再生していきます

 

2025年12月、二階の屋根裏物置から機織り機、明治時代以降の家具、旧初狩郵便局時代の物などを移設しました。リニューアル後の様子はこちら「工場の間」をご覧ください

以上、「工場の間」 after 


物置の時の様子 before