みどうと織物工場

「物置」から「工場の間」へ、ノスタルジーをテーマに

明治時代~大正~昭和中期頃「奥脇製絹工場」を営んでいた時代がありました。みどう本陣母屋につながるこの部屋には織機が置かれ稼働していました。大月市や都留市など郡内地域は繊維産業が盛んだった歴史があります。

昭和40年初頭になると織機による織物製造工場から染物工場へと変遷していきました。高級品である養蚕の天然絹糸の代替品として重要な役割を果たした人絹(レーヨン)繊維を様々な色に糸を染め、乾かし、お巻きという器具にその糸を巻き、地域の機織り屋さんにお巻きの糸を渡し反物へ、袖裏や裏地の生地が主な製品でした。先々代当主の家族や親族が経営を担っていました。染物工場として昭和50年代初頭まで工場として使われていたのです。その後、染物工場のボイラー設備などは撤去され、工場跡は物置として現代へと歴史を綴ってきました。

 

2025年夏、先々代当主が平成5年(1993)に亡くなって32年、祖父が残した物置の雑品類を一部のレトロな家具や電化製品を残し処分・整理しました。物置に残されていた両袖机は昭和30年代製で大正11年(1922)から昭和46年(1971)まで初狩郵便局長を勤めた祖父が事務机として使用した後、払い下げを受けて退職後も愛用していたもの。扇風機は昭和30年代製で当時大学初任給が19,800円、これは8,000円していたそうです。クーラーが無い時代高級品だった扇風機を家族や郵便局員のために使用していたのではないかと想像しています。レトロな石油ストーブ、幅を変えられるブックスタンド、印鑑入れなど往時の郵便局風景を偲び再現してみました。

 

今後このスペースは、織物に関する物、古民具、農具などを展示する資料館や撮影スペースとしてフレキシブルに活用できるよう「物置」から「工場の間」へ、工場跡の空間を再生していきます。こんなイメージで活用してみたいなどご意見・ご希望がございましたらお問い合わせください。


【奥脇製絹工場 大正8(1919)年9月17日撮影  ©midohonjin】 


物置 beforeの様子